サクラと紅茶

日常のことを書いていきます。 ただしFC東京のことが多めかもしれません(笑)。 試合当日や次の日は特に多いかもしれません(笑)。 物書き志望でもあります。 第2回富士見ラノベ文芸賞 一次選考通過

物書き志望です。
第2回富士見ラノベ文芸賞 一次選考通過
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リアルの古代中国史を参考にした架空興亡記です。
よかったらクリックして読んでやってくださいね。
「庸滅亡」http://ncode.syosetu.com/n7549cw/
「四層時代」https://ncode.syosetu.com/n1196eh/

ここんとここんな動画を観たり



ケーブルの再放送を何作も観たりしていることもあり、
二時間サスペンスドラマはやっぱりおもしろいなーと再確認している毎日です。
ぼくはホームドラマにしろ学園ドラマにしろトレンディドラマにしろ(古い(笑))、
普通のドラマはまったくと言っていいほど受け付けない性質なんですが
(家族が観てたら部屋に逃げ帰るレベル(苦笑い))、
二時間サスは昔から大好きでしたねー。


ぼくの中で二時間サスの王様は「天地茂・明智小五郎 美女シリーズ」なんですが、
これはもう別格というより別枠だな(苦笑い)。
あのケレン味たっぷりのおどろおどろしい雰囲気やエログロは、
あの役者さんや演出家でないと表現出来ないからね。


そうでなくて普通の(?)二時間サスも充分おもしろい。
警察官が主人公のもおもしろいし、素人探偵が主人公なのもおもしろい。
ある程度のパターンはあるけど、そのパターンがまたいい。
そしてEDの歌とスタッフロールもまたいいんですよねー(笑)。


火曜サスペンス劇場もいいし、土曜ワイド劇場もいい。
テレビ東京の水曜ミステリー9もいいね。
ぼくはそこまでハマらなかったので何回しか観てないんですが、
「相棒」も元々は二時間サスペンスで、そこからレギュラー化したそうだから、
その流れを汲んでいるなというのは感じています。
二時間サス時代からのファンだという知人の中には、
レギュラー化した今の「相棒」は、時間が短くなった分、
内容が薄くなっておもしろくなくなったとも言っていた(苦笑い)。


そういえばこの間、中村俊介版の浅見光彦を初めて観ました(笑)。
ぼくは浅見さんといえば、ずーっと榎木孝明さんだったんで、
どこか敬遠してたところがあったのかもしれませんが、
観てみて驚くほど声が榎木さんとそっくりだったんで驚いてしまった(笑)。
もう中村俊介版も終わったようだし、浅見さんもここまでなのかな。
どうやら原作も最後の本が刊行されたみたいだし…


時代劇と同じで、
パターンがあるからこそ愛され、パターンがあるからこそ飽きられてしまった観もあるし、
ぼくも頻繁に観ていたわけじゃないだけにそこまで偉そうにも言えないけど(汗)、
でもやっぱり、再放送であってもこれからもちょくちょく観たいもんだと思っています。

アギーレ監督率いる日本代表第二戦。対ベネズエラ戦。
2-2の引き分けではありましたが、
我らが武藤嘉紀が先取点=代表初得点=アギーレジャパン初得点。
なんというか…本人の努力や才能というものが第一ではあっても、
ここまでチャンスをことごとく自分のモノにしてしまうというのは、
普通ではありえないような流れや後押しというものがやはりこの世にはあるのかもしれないな。

まだまだわからないけど、これからの四年間、
常に代表に呼ばれて中心選手として戦うような「よっちの時間」が始まるのかもしれない。

それはうれしくて大歓迎な話ではあるんだが、
欧州に引き抜かれてしまう可能性が高まるジレンマは、やはりあるけどねえ…(苦笑い)

昨日の天皇杯もそうだったが、
最近は日本全土で敗北後に拍手が起こることが多くなってきたように思います。
それではアカン、負けた時には試合内容関係なくブーイングだ! という人がいるのも確かですが、
個人的にはどちらもあっていいと思っています。

細かいことは以前ここにも書きましたが、http://suntu500.blog.jp/archives/1005515432.html
まずその水準でブーイングをする者には相応の覚悟と生き方が求められる。
学生なら勉強その他、社会人なら自分の仕事を
「結果が出せなければクソ! 経過や努力なんて意味はない!」
というレベルで取り組んでいるか、そして実際に結果を出しているかが問われる。
じゃなきゃ「他人に厳しく自分に甘い」という、最も蔑まれる部類の人間になってしまうでしょう。


「選手はプロで自分はそうじゃない」という反論は、それこそ失笑されてしまう。
好きでもない仕事だろうが、アルバイトだろうが、働いて金をもらう以上例外なく「プロ」です。
その見識も自覚もないのだとすれば、
とてもじゃないがそのレベルのブーイングをする資格はないんじゃないでしょうか。
そしてここまでの高い意識と能力で生きている人、生きられている人は、たぶんほとんどいない。


それでもぼくらがブーイングを許されるのは、「お客さん」だからです。
どんなにサポーターと自称しても、どんなに選手と一緒に戦ってると言っても、
犯罪的な行為でもおこさない限り選手やクラブやリーグがこちらを非難して来ないのは、
それが理由でしょう。
じゃなかったら、誰が無責任なド素人の罵声を素直に受け入れるか(苦笑い)。


もし試合で負けた時、ピッチで戦っている選手が他の選手に
「お前がダメだから負けたんだ!」と一方的に罵声を浴びせたら、
とてもじゃないが言われた方も言われっぱなしではないでしょう。
仮に本当にその選手が無気力でミスばかりして負けたのならそれは素直に受け入れるかもしれないけど、
そこまででないとすれば、また責めた方がそこまでのプレーをしていないとすれば、
つかみ合いや殴り合いの諍いにすら発展しかねない。
それが同じレベルで一緒に戦ってる者同士ということでしょう。


だから負けたときに思考停止して、
一方的に短絡的に選手たちに「お前らが悪いから負けたんだ!」とブーイングするというのは、
一緒に戦ってないような気がしてイヤなんですよ。


おれたちの今日の応援はどうだったか。
ちゃんと選手の力になっていたのか。
あのプレーの時はもっとこうすればよかったんじゃないか。
全体を通して、全体の流れをよくするために、もっと違う効果的なやり方があったんじゃないのか。


一緒に戦ってるというのなら、自分たちの応援にミスはなかったのか、
もっといい方法はなかったのか、全力を尽くしたのかを考慮に入れるべきだと思ってます。
コールリーダーについていくだけだから何も出来ないというのであれば、
選手に自分たちの判断で戦えとは、とても言えない。
このコールはこの場面ではちょっと違うなと思えば声を出さないということだって出来るし、
ここはより大きな声を出そうということもできる。
応援の理想は、スタンドのサポーター一人一人が、リーダーの先導がなくても、
その時その時で最良と思える応援を自分で考えて判断しておこなうということかもしれません。
リーダーがダメっていってるんじゃなくてね、選手が監督の意向に則りつつ、
その場その場で自分で考えてプレーをするというのと同じということ。



応援が選手の力になるというのなら、
負けた時は力になりきれなかったという要素も確かにあるはず。
選手同士が責任のなすり合いでなく、
勝つために、もっと強くなるために厳しく言い合うのがプラスになるように、
上から目線の無責任なブーイングではなく、選手たちと同じ高さに立って、
その上での「言い合い」としてのブーイングならぼくもしたい。
それでも選手たちはこちらに言い返せない以上、決して同等の立場にはなれない。
その後ろめたさも忘れない。
ブーイングをする時でも、そのことを忘れないブーイングでありたいと、ぼくは思っています。


そしてそういうブーイングにするために、拍手は有効かもしれない。
ブーイングはどう表現してもやっぱりブーイングでしかないです。
厳しいことを言う罵声の類でしかないわけですが、
そこに拍手が加わると「認めるところは認めているよ」という意思表示になる。
当たり前だけど負け試合だからって何もかもダメということは滅多になく、
よかった部分も必ずある。
その部分は否定することなく、悪かった部分だけを直せば、
さらに強くなり、次の試合ではより勝ちやすくなる。
だからブーイングで悪かった部分を指摘し、
拍手でよかった部分を認めるというスタイルは、
よりスタンドの意思を選手に正確に伝えることが出来るんじゃないでしょうか。


よくスタンドは街に喩えられるけど、ゴール裏だって全員が同じ考えや感情なわけじゃない。
そしてそうじゃない方がいい。
サッカーでも全員がFWのチームが勝てるはずもなく、
様々なポジションがおのおののプレーをしっかりやって、
協力しあうことでより強大な力を得ることが出来る。
スタンドだって同じです。純正より渾然の方がいい。
物事を為すのに意思の統一というのは必要だけど、
思想の統一は必ずしも必要じゃないし、
むしろ害悪になる。
純正は勢いがある時は強いけど、弱点を突かれたり押し返されたりした時、
他に引き出しがないから盛り返すことが出来ず、あっさり負けてしまう。
それも反撃の手だてもない完全敗北で。
こういうことは国レベルの話ではなく、他の事柄でも同じだ。
慣用句になってしまうけど、それは歴史が証明しているでしょう。


様々な人がいて、様々な考えがある方が、互いに助け合い、支え合って、
危難を乗り越え、順境では勢いを増せる。
選手によっては厳しく言われた方が利く人もいれば、
やさしく言われた方が伸びる選手だっているはずで、
それを全部同じやり方で統一しようとすれば、結局結果は出にくくなる。


とかく人は自分と違う、自分が否定していることをしている人が、
何も考えてないと思い込むけど、そんなことはない。
その人はその人なりの考えがあり、
それはもしかしたら自分がみえてなかった場所、
考えていなかった場所まで考慮に入れた、より深いものかもしれない。
「意味がわからない」という類の言葉を使って他人を非難する人は、
「意味をわかる能力がない」「意味をわかろうとしていない」ということで、
能力が足りないか、怠惰か、そのどちらかであるとぼくは思っています。
「そんなに深い意味で言っていない。言葉の綾みたいなものだ」というのであれば、
言葉を軽く扱い、言葉の力や価値を馬鹿にしている、わかっていないということで、
やはり人格や能力を疑ってしまいます。


差別について問題になっていますが、差別は人種だけでなく、思想やその他でもあります。
自分が「わからない」と感じたものを無意識に「さげすんでいる」と自覚したら、
そのことを恐れるべきだと思っています。

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