サクラと紅茶

日常のことを書いていきます。 ただしFC東京のことが多めかもしれません(笑)。 試合当日や次の日は特に多いかもしれません(笑)。 物書き志望でもあります。 第2回富士見ラノベ文芸賞 一次選考通過

物書き志望です。
第2回富士見ラノベ文芸賞 一次選考通過
suntu501@excite.co.jp

リアルの古代中国史を参考にした架空興亡記です。
よかったらクリックして読んでやってくださいね。
「庸滅亡」http://ncode.syosetu.com/n7549cw/

悪いところは他の人が言い尽くしているだろうし、
良いところも言い尽くしているだろうから、ぼくが今さらなにか書く必要もない。
それに来週の今頃、
今日の試合のことを話題にしてる人なんかほぼ皆無だろうからね(苦笑い)。

ぶっちゃけ、次からの3試合(以上)で、
今日の試合どころかこれまでの4年間が全肯定されるか全否定されるかだから、
その他のことはどうでもいいというくらいに達観しているところもありまして。
本番直前の模試の結果がイマイチだったからって
細かいことをキャンキャン怒鳴りつける母親が、
試験を受ける子供にとってプラスの存在だとも思ってないので。
むしろ注意するはするにしても、どう注意するのかで、
その人の能力や人格が現されるとも思っています。
プレー(行為)の内容や質を試されてるのは、選手の方だけだと思うなよ。

まあ個人的には大ざっぱに、
「立ち上がり凄く集中」を注意すればいいんじゃないかと思ってます(笑)。
日本は他の国に比べて後半になっても運動量が顕著に落ちないように見えるし、
実際前半より後半の方が攻める機会も得点する機会も多いように感じる。
だったらアタマから相手を圧倒するほどに集中していけば、
失点も減るだろうし後半の反撃もより期待できる。
アタマからガツッといくと後半もたないという懸念もあるかもだけど、
主導権握られて走らされる方が疲れるだろうし、
少なくとも五分で戦えれば、やはり日本の方が有利になるんじゃないかな。

http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2014/06/05/post_637/

これはミスターレッズの言うことは正しいけど、
メディアの方にそれができる能力と資格があるのかが怪しいのが問題だ。

表現の自由、思想の自由、報道の自由。
そういったものが人の集団の健全性を保つというのは真実だろうと思う。
でもこれもあまりに基本だけど、
自由の名の下におこなわれる行為=当人が責任を負う、というのが真理だ。
だから他の弊害についてはともかく、
規制される場合、責任という点では実はラクになるんですよね。
規制し検閲するのなら、発表された文章なり何なりが
世間にどんな影響を及ぼすかは検閲した方の責任になるわけで、
悪影響(特に検閲した側にとって)が出たりしたら、それこそいい笑い物なわけですよ(笑)。

で、そうでない限り、書いた物への責任は書いた当人、報道した組織に帰せられる。
だけどどうもそのあたりがゆるい気がしてならない。

たとえば今、ワールドカップ直前でいろんなメディアがいろんな報道をしたり、
いろんな文章を書いて発表したりしている。
だけどその報道なり文章なりの内容が「結果として」正しかったかどうかを追及されることはまず皆無だ。
文章の内容にもよるけど、最低でも「このままでは駄目だ」の論調で書いている物に関しては、
後で結果を「判定」する必要はあると思う。
そして判定結果から的外れなことを書いていた人にはペナルティを課す。
たとえばライターなら一回寄稿停止。
出版社やらテレビ局なら相当額の罰金とか。
そしてそういうのが重なるようなら、寄稿停止期間の延長、罰金の増額。

もちろんこれはぼくがパッと考えたペナルティだからもっと違う、
公正で効果的なものもあるだろうけど、とにかくこのくらいやる必要はあると思う。
それは書いたものに責任を持つということだけでなく、
ペナルティ、それも何度も重なればその分重くなるペナルティがあれば、
その分、書くのも報道するのも怖くなる。
取材も本気になるし、分析も多面的で深いものになり、
より精度が高く価値ある記事が現れるのも必定だ。


もっとも、こういうものの判定は、本当に難しいから困るけどね。
一言で結果といっても、試合直後、数週間後、数ヶ月後、数年後、重数年、数十年後と、
どの時点をもって「結果」とするかで全然評価が変わってくる。
また「こうも取れるがこうも取れる」という文章を書くような流れにもなってくるかもしれない。
また、あえて結論をぼやかすような文章が横行するようにもなるかもしれない。
あっちも生活がかかってるわけだから、それも無理からぬところはある。


だけどやはり、そんなメディアには存在意義はないと感じる。
監督なり選手なりは、結果が出なければ解雇される。
だのにその選手たちを批評する立場にいる人たちは、
何を言おうが何も責任を取らされることなく安全な場所にいる。
同じ土俵に上がらない者に、
そんなことが出来る資格があるわけがないし、能力も磨かれるはずもない。



福田の文章でも感じるけど、「欧州がこうだから」で思考停止している風が、どうしてもある。
そうじゃない、欧州はこれで強くなってるからこれを取り入れるべきなんだと反論されるかもしれないけど、
欧州で有効な手段が日本でも同じように有効かどうかの徹底的な検証はしただろうか。
また欧州ももっと違う方法だったらもっと強くなれて、もっとよい結果が出ていた可能性はないか?

代表をはじめ、サッカーも日本独自、日本のスタイルというものを模索しはじめている。
だったらメディアもそれを模索してみるのもいいんじゃないだろうか。
それが欧州と違うもの、そして欧州に「輸出」したら、
あっちももっとよくなるものになる可能性はないか?
サッカーの方が懸命に新しい段階へ入ろうとしているのに、
メディアの方はその努力をまったくせず、
十年一日のやり方を繰り返しているのなら、
これもまた相手を批判や批評する力も資格もない証になってしまうでしょう。

「俺たちメディアは世の中が間違った方へいかないようにするための目であり頭脳である」
「俺たちメディアにはその能力があり、そして誇りがある!」
というのなら、
「このままでは駄目だ」「こうすればもっとよくなる」という改革を他者に対して要求するだけでなく、
まず自分たちに施して、現実としてそれを示してもらいたい。
そうしてくれたらぼくらもメディアの報道や文章を、
心からの敬意と信頼をもって受け入れられて、ありがたいことこの上ないからね。

http://www.narinari.com/Nd/20140626217.html
新たな時代に誘われて、古い時代からやってきちゃったな(笑)。
こういうのはセーラームーンをリアルタイムで観てた
小さいお友達に購買能力が出てきたということなんだろうな。
買うのに万札が必要な、
めっさリアルな昭和時代の仮面ライダー変身ベルトが作られて売られるのと同じだ(笑)。
もっとも今の平成ライダーのベルトは、子供向けのものでも普通にめっさリアルだからすごいけど。
リアルに作れることを前提としてデザインしているのもあるだろうが、
それでも実物見ると「おお…」と感心してしまうよ。

しかしなんだな、この際だからこれからプリキュアは、
途中で増える一人はセーラー戦士の声優さんを使うくらい
やっちゃってもいいかもなと思ったりしています(笑)。
まったくつながりのない作品ではあるけど、まったく意識していないということもないだろうし、
ムーンライトさんが久川さんだったときも結構な反響があったみたいだし、
妖精さんだけでなく、プリキュア本体(?)もそういう遊びを入れちゃってもおもしろい。

別におれが観たいからというだけでなく(笑)、
それこそ当時小さいお友達だったお母さんたちがうれしいだろうし、
さらになにがしか売れる商品が作れそうではないですか(笑)。

もっともプリキュアは若手女性声優さんの頂点の一つでもあるだろうし、
そういうのも難しいのかなあ。

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