サクラと紅茶

日常のことを書いていきます。 ただしFC東京のことが多めかもしれません(笑)。 試合当日や次の日は特に多いかもしれません(笑)。 物書き志望でもあります。 第2回富士見ラノベ文芸賞 一次選考通過

物書き志望です。
第2回富士見ラノベ文芸賞 一次選考通過
suntu501@excite.co.jp

リアルの古代中国史を参考にした架空興亡記です。
よかったらクリックして読んでやってくださいね。
「庸滅亡」http://ncode.syosetu.com/n7549cw/
「四層時代」https://ncode.syosetu.com/n1196eh/

月一のペースで献血に行ってます。
ぼくはたいてい成分献血なので、二週間あいだがあけば行けるんですが、
そうカツカツに行かなくてもね(苦笑い)。
一番献血にハマってた頃はそんなペースでしたが(苦笑い)。
で、前回行ったのは去年のクリスマスイブだったので(笑)、今日が今年初の献血でした。


といって特に何があるというわけではないんですが(照)。
相も変わらず行きつけの(?)アキバルームへチャリでゆき、検査をすませて血を抜いて、
土地柄、ルームに大量に置いてあるマンガを読んで
(今日は「ろんぐらいだぁず」など女子系自転車モノを数冊(笑))、それから帰ってきました。


現在は日課のミスドでのんびり中です(照)。
このあとはワンセグで「サザエさん」を観て、
毎日ちょっとずつ書いてる小説をちょっと書いて帰ろうかと思っています。
小説といっても今は作中の簡単な年表づくりだなあ。
ぼくはこういうのをいいかげんという意味のテキトーで書いているので、
自分で辻褄が合わなくなってきているのです(苦笑い)。
最初にちょっと決めとけば、あとはやりやすくなるんですけどね。


ああ、そういえば今日は血を抜きながら観ていた二時間サスペンスに中山忍さんが出てて、
年末、ちょうどクリスマスイブに書いた日記とかぶってよかった(笑)。
http://suntu500.blog.jp/archives/1069031264.html

「策士キャラ」のアンケートでヤン・ウェンリー提督の名前が挙がっていないのに疑問を覚えてる人も多いようだけど、
いうても銀英伝が書かれたのは30年前だからね(苦笑い)。
それ以後も人気は継続してるし、最近はコミカライズされたり再アニメ化も予定されているけど、
アンケートに答えてるのはぼくらのように「奇蹟のヤン」「魔術師ヤン」が骨身に染み着いている世代ばかりではないから。


とはいえ直撃世代としては、やっぱりヤン提督の影響は大きいです。
戦いとは別ですが、提督に感化されて紅茶党になり、
安物だけど家ではリーフティーを淹れ
、どこかで何か飲むときのファーストチョイスもだいたいは紅茶で統一されるようになってます(笑)。


原作読むときもヤン提督が中心だったなあ。
正確には「ヤン提督に憧れるユリアンの視点」で読んでた。
そして年齢を重ねるごとにその「視点」が変わっていってることにも自分で驚いています。


最初は原作8巻までのユリアンの立場がうらやましかった。
そして8巻以降は絶対にやりたくなかった(苦笑い)。
でも年齢が上がってくると、
8巻以降、そして10巻以降のユリアンをやりたいと強く思うようになってきて、
ぼくも今では(作中のユリアンの立場ならば)歴史家になりたいと感じております(笑)。


本当は歴史家に専念したいけど、
ヤン提督の後継者にして帝国から自治権を獲得した英雄である以上、
「ハイネセン自治政府が安定するまでは」と政治に関わらざるを得ず、
辞めたいのにやかなか辞められない「いやいや政治家」としてヤン提督と似た人生を送っているユリアン(笑)。
気は強いけどそんな夫のことを心から理解し、最大限サポートする妻・カリン。
その二人の間に子供が産まれてたとしたら、そして男の子だったら、
名前はもしかしたらウェンリーとつけていたかもしれない(畏れ多くてムリかもしれないが(笑))。
そんな妄想もしてますが、
でもきっとシェーンコップ中将の墓に向かってその子を突き出して「あんたの孫よ、おじいちゃん」はやっただろうと思う、一度くらい(笑)。


あと田中先生のキャラなら、
策士ではないけど「七都市物語」のギュンター・ノルトも独特の魅力があって好きです。
奇をてらわず、理に基づいた隙のない布陣で粘り強く守り続け、
味方に勝因を作るというより敵に敗因を作らせて勝利するという、
地味目ながら味のある戦術を得意とする名将。
30代とまだ若年だが事故で足が不自由になったため杖を突いて歩き、
独裁者に間接的に妻を殺され、
敵連合軍を撃退したことで英雄に祭り上げられそうになったのを恐れて他都市へ逃げ出したという、
ヤン提督とはちょっと違うタイプの軍人らしからぬ軍人であるところも魅力です(笑)。

長期連載が過ぎてつまらなくなった。
そう感じてしまうのは仕方ないと思います。
究極のところ、おもしろいかおもしろくないかは自分ですら決められない。
自分の感性が勝手に判断するもんですから。


ただそれをどう表現するか、
そこにはその人の人格や見識が出ると思ってます。
やはりボロッカスに言うのが目立ちますが、これはどうもね。
「昔はおもしろかったけど今はクソつまんねえ」という類の雑言は、
「昔はかわいかったけど今はブスのババア」と、
結婚相手に罵声を浴びせるのと似ているように思います。
昔あんなによくしてもらったのに(あんなに感動させてもらったのに)、
好きで年食ったわけでもないのに(おもしろくなくなったわけでもないのに)、
掌を返したようにボロクソに言う。
こりゃあ人としてどうだろう。


こう言うと、
「それとこれとは違う。この手のものは今が(おもしろいか)どうかだけがすべてだ。良薬口に苦しというように、悪いものを悪いというのは作品をよくするために必要だ。言ってもらうことをありがたいと思わなければならない」
という反論もあるかと思います。
ただこれも言われる方が自戒するのはともかく、
「言う方」が主張するのは少々自分に甘過ぎないかと感じています。


良薬口に苦し。
この格言を免罪符にするからには、つまり自らを医者と任じているわけだ。
作品をもっとよくすることを目的とした医者。
だけど医者の中にも名医もいればヤブもいる。
その中で最悪のヤブは、
向上心もなく怠惰でありながら自分を名医だと思いこんでいるヤブだと思います。


医者の仕事は病気を治すことではなく患者を健康にすることです。
どっちでも同じに見えるかもしれないけど、これは似て非なるものでしょう。


名医は患部を除去する手術をするにしても、そのために必要な手順は何か、
使うべき薬は何か、そこに副作用はないか、あるとすればどうすればそれを軽減できるか、
患者のメンタルに配慮するにはどうすればいいか、
手術そのものもどうすれば患部以外への影響を最小限にできるか、
等々いろいろ考え実行していくものだと思います。


だけどヤブの場合はそんな配慮は一切ない。
いきなり麻酔なしで患部にメスを突き立て、えぐりまわして取り出し、
後処理もなくそれで終わり。
患者が激痛にさいなまれ、体の他の部位が傷つき、精神に大ダメージを受け、
手術前より悪い状態になり、
下手をすれば死んでしまったにしてもこのヤブは言うでしょう。
「本来の目的である患部は取り出してやったんだからありがたく思え。あとは自分で何とかしろ」


ただボロッカスに言うだけの人間は、
ぼくにとっては上のヤブ医者と同じにしか思えないんですよねえ。
「じゃあどう言えばいいんだ」と言われるかもしれないけど、
それを自分で考え、最良の方法を編み出し、
しかもそこで止まらずさらにもっといい方法がないかと考え続けるのが「名医」ってもんです。
他人の意見を聞いて参考にするのならともかく、
いきなり「正解」を尋ねて、
しかもそれを教えてもらえるのが当然だと考える時点でヤブ確定でしょう。


まあべつにそこまで考えずにボロカス言ってるだけの人も結構いるとは思います。
だけど無自覚でそれをやってるのなら、それもまた見識や客観性がどうかとねえ。
喩えていうなら、失敗して粗相したウェイトレスに
「俺ぁ客だぞ!」と怒鳴り散らしてるオッサンみたいなもんですよ。
迷惑かけられた客なんだから筋としては間違ってない行為かもしれない。
ウェイトレスも「こんな目に二度と遭いたくない」と今後は気をつけて、
結果としてはよい方向にいくのかもしれない。


でもハタから見てこのオッサンがどう他人の目に映るか。
このオッサンに「この子を教化してやろう」という意図があるとも思えない。
単に「自分が被害者」で「逆らえない相手」が手に入ったことで
普段のストレスを発散したり、
卑しい嗜虐性を満たすために怒鳴り散らしているとしか思えない。
たとえ口では「おまえが憎くて言ってるわけじゃないんだ。おまえのためを思って言ってるんだ」と言っててもね。


世の中いろんなことが急速に変わることがよくあります。
スポーツ指導も体罰や精神論だけを中心としたものが前時代的として糾弾されるようになってます。
「批判の仕方」も今、かなり変化が起こり始めているように思えます。
そんな中で今まで通りの、ただ悪いところをボロカスにあげつらうだけの批判は、
竹刀でブっ叩いてウサギ跳びをさせる類の指導を喜々として続けてるのと変わらないのかもしれません。

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