「戦術はメッシ」
「マラドーナを活かすためのチーム構成」
「フッキ・システム」

最後は揶揄の対象としての趣が強いし(苦笑い)、
総体的に見てもその傾向で見られる言いようだとは思う。
だけど個人的にはちょっとあこがれるところもあるのが本音(照)。

正確に言うと、○○システムを採用されてしまうほど
「頭二つ」抜けたような選手が自分たちのチームに所属しているという状況にあこがれる。
Jリーグだと難しいからなあ。
外から呼んでくるのは難しいし、内で育てても、育ち切る前に出てっちゃうし(苦笑い)。
だから最も可能性があるのは代表かな。

本田さんや香川がさらなる成長を遂げてくれてもいいし、
柿谷や清武が超神水を飲んじゃったように確変起こしてくれてもいい(笑)。
あるいは宇佐美が期待通りに圧倒的な力を身につけてくれるのもOKだし、
まったく未知の選手が彗星のように現れてくれるのも全然OKだ。

出来ないと思ったら出来ることだって出来なくなっちゃうのが世の中だ。
絶対出来ないと誰もが思ってることでも、出来ると思う、
思えないなら思えるように実力を養い、実績を積んでいくことが大切だ。
本田さんたちのワールドカップ優勝宣言を出来ないと笑う人たちは、
たった20年か30年前に「ワールドカップに出場する」と
本気で努力を始めた人たちを笑ってた連中から何を学んだのか。
おそらく当時のこの目標は、
今日本がワールドカップで優勝するという以上に無謀な夢物語だったろうと思うよ。
「日本がワールドカップに出られない理由」もしたり顔で好きなように並べ立てられただろう。
それが今や、初出場どころか5大会連続の出場で、
次の大会も出場するだろうと誰も疑わないほどになってしまっている
(最後のはよくないとぼくも思うけど(苦笑い))。


「その頃おれは生まれてなかったから関係ない」なんてのは言い訳にならない。
「歴史から何も学ばず同じあやまちを繰り返すのは真の愚か者」というのは、
サッカーに限らず人の世の真理の一つだ。
その程度のこともわかってない人間に、
偉そうに他人をそしったりおとしめたりする「能力」が、そもそもあるはずもないんだから。
視野を広く、識見を高くし、歴史のなかで自分の占める位置をたしかめ、
自分がはたすべき役割を自覚し、敗北や失敗に耐える強さを持つこと。
これは田中芳樹先生の「灼熱の竜騎兵」の一節だけど、サッカーでも充分応用がきく文章だ。