マンガやアニメで「サブタイトルでネタバレ」ってのをあげつらう話は結構聞くけど、
個人的にはこういうのって、
言う方が批評家としても制作者としても「浅い」なと感じてしまうんですけどね。


こういうのってサブタイトルまで含めて「演出」だからね。
サブタイを読んで「おっ?」という気持ちになり、ページを繰る手に力がこもる。
「なんだよこれ、ネタバレしてんじゃねえよ」ってうれしそうに指摘する人でも、
サブタイトル読んで「ああ、内容わかっちゃった、つまんない」って
その後のページをめくらなかった人って一人もいないんじゃないかな?
そして読んだ後「サブタイトルがネタバレだったからつまらなかった」という人も、
ほとんどいないんじゃなかろうか。
「結果」がわかってるからこそ「どうやってそこに至るんだ?」というハラハラ感や期待と相まって、
先を読むのがより楽しみになるというのもあるからね。


それに巨視的に見れば少年マンガ、特にジャンプあたりは、
「主人公サイドが最終的に勝つ」という「結末」が用意されていて、
そこに至るまでの経過を楽しむものだから、
ある意味最初から「ネタバレ」されているようなもんだ。

それにさらに言えば、こういうことを言い出すと、
マンガに限らず実際の歴史を題材にしたフィクションなんて存在自体できなくなってしまうよ。
史実を元ネタにしている以上、主人公が誰で、
どの時代の話なのかがわかった時点で、結果がどうなるか
「ネタバレ」されてるんだからね(苦笑い)。


どうもなあ、最近こういう指摘をする方の思考が硬直化しているように感じる。
「これはこうなんだからこうでなければならない」。
たとえばこの「サブタイトルでネタバレ」に関しても
「ネタバレをしてはいけない。先にネタバレしたら『いけないことになっているから』、おもしろくなくなることに『なっているから』」
というところで思考が止まって、鬼の首を取ったかのように指摘してくるけど、
上に書いたような考え方もあるし、またもっと違う意図や狙いも考えられる。
そういう部分まで考慮した上で、
そこからさらに深い考えもあっての「指摘」ならまだしもなんだけど、
文章とか指摘の仕方を見ると、とてもそうは思えないからなあ。


当たり前だけど、創作の世界で「こうしなければならない」というものは存在しない。
もちろんスポンサーとか、世の流行とか、読者・視聴者の好みとか、
そういうものを考慮に入れなければいけないだろうけど、
それでも新しいこと、既成概念を壊すようなこと、逸脱するようなことをやっていかないと
じり貧になってしまうのは、どんな世界でも例外はない。

娯楽である以上「自分の好みと違う」ということで
非難や否定をすることは許されるかもしれないけど、
それが普遍的に間違っている・劣っているとするのはやはりおかしい。
また深い考えもなしに「大多数のやり方と違うから間違ってる・劣っている」とするのも危うい。
こういうのっておかしいだけじゃなく、新しい可能性を潰すことにもなりかねないからな。

すべての「新しい試み」が、新しい力、新しい発見、新しい成功の元になるとは限らないけど、
それでも自分たちがその芽を潰す側には回りたくはない。
スポンサーや製作会社は理想ばかり追ってるわけにはいかないだろうけど(苦笑い)、
無責任で直接的な被害もなく、
それでいて影響力のある視聴者という立場にいる人間としては、
そういうスタンスを忘れないようにしたいと思っています。


追記っぽくなるけど、「涼宮ハルヒ」の「エンドレスエイト」が大バッシング受けたときも、
「ああ、残念だなあ」とため息ついた覚えがあります。
ぼくはもともと「ハルヒ」そのものが嫌いなので観てなかったんですが(苦笑い)、
でもこれだけの「無茶苦茶っぷり」をやってのける京アニはすげえし、
さらなる可能性があるなと感心したもんです。
たとえそれが結果として「つまらない」「失敗」だとしても、
「実際にやってしまった、やってのけた」という事実自体が尊く、
長い目で見ればアニメ界そのもののプラスになる「偉大な愚挙」だったと思ってます。
ただ、仕方がないとはいえ、それを許容できる人は、そこまで多くなかったんだろうなあ…