何かを得るためには苦しい思いをしなければならない。
これはほぼ定説として世間、少なくとも日本では定着していると思います。
そして「苦しい思い」≒「努力」と、これもほぼ無意識に定着していると思う。
さらに「努力≒継続」というのもまた。


だけど必ずしもそうとも言い切れない。
たとえば「太る」という行為(?)。
一般的に太ることは悪いことというイメージが確立されていますが、
そこは取っ払って太るという結果を得るための心的要素、身体的要素だけを考えてみましょう。


太るのは確実に消費以上の「食べ過ぎ」が理由になると思います。
かといって一日二日ドカ食いして「達成」できるほど単純なものでもない。
そこで少し太っても、また元の食生活に戻れば、体重も戻っていく。
そうじゃなくてそれこそ毎日毎日、お菓子を食べて、
子供が残したおかずをもったいないと食べて、
店に出かけておいしい料理を食べて、等々を、
コツコツコツコツ繰り返して、はじめて達成できるものだ。


だけどこれを「苦しい」「つらい」と感じる人はほとんどいないはず。
なかなか太れない体質で「太りたい」と思ってる人以外では、
皆無といっていいんじゃないでしょうか。


太っちゃう人は例外なく、食べるものがおいしい、食べることがうれしい、楽しいと、「楽」を基として食べ過ぎちゃっているはず。
つまり「継続=楽しい」で、「継続=苦しい」ではないわけだ。


だけど「本当に価値や意味のあるものを手に入れるための努力は苦しいものだ」という意見、というより「感覚」はきっと人の心にあると思います。
じつはぼくの中にも色濃くあります(苦笑い)。
これはもう、生まれたときから刷り込まれつづけた感覚だから、
ある意味しょうがないところはあるでしょう。
しかもこの刷り込みの恐ろしいところは、親や先生や社会からだけでなく、
マンガとかアニメとかドラマとか、
楽しんで観るはずの娯楽からも絶えず刷り込まれている点。
それどころかむしろ娯楽から刷り込まれる方がより強力で執拗かもしれない。
少年マンガなんて、これがメインテーマの印象すらあるもんなあ。


だけど「継続は力」という慣用句を真理とするなら、
「継続=楽しい」で得られる「もの」の方が圧倒的に力になる。
苦しいことを続けるのは、最初から向かい風に逆らって進むのに対し、
楽しいことを続けるのは追い風の中で進むのに等しい。
この場合、向かい風の方が力になる云々いうイメージは関係なく、
純粋に「進んだ距離=力」です。
後ろから押され続けてラクで、
そもそも歩く行為そのものが楽しくてしょうがないんだから、
ほとんど無限大に力を得られますよ。


とはいえこれほど楽しいことにはなかなかめぐりあえず、
会えたとしても実用的な益にならない、
ぶっちゃけて言えばカネにならない事柄だとすれば、
たいていは無価値なものとして、
他人からも、時には自分自身からも打ち捨てられてしまいます。
だけどそれはもったいないなあ、とも思ってしまう。


「好きこそ物の上手なれ」と言い「下手の横好き」と言う。
でも下手の横好きの方でも、まったくやらない人よりはるかに上手いと思う。
まして、たとえ進みが微々たるものだとしても、
継続に苦がない以上、進む距離はとてつもないものになる可能性がある。
それだけでも得たものは大きいが、世の中なにが評価されるかもわからない。
まったく意味ない、親や他人から見れば害としか思えないものが、
その人の未来にとてつもない彩りや幸福を与えてくれるかもしれない。


「太る」は健康によくないところもあるだろうから無条件には進められないけど、
他の事柄で苦もなく続けられるものは、
とりあえず楽しく続けていくのがいいんじゃないかな、
なんてことを考えたりもしています。
主に自己弁護のため(苦笑い)。