竹書房の「本当にあった愉快な話」という雑誌に連載されている作品。
この雑誌は読んでなかったので知らなかったんですが
図書館で偶然単行本を見つけて存在を知りました。
「まいっちんぐマチコ先生」のえびはら武司先生が、
藤子不二雄先生のアシスタントをしていた頃のエピソードを描いたマンガです。
ぼくはえびはら先生が藤子先生のアシスタントだったことも知らなくて申し訳ないんですが(汗)、マンガに描かれているエピソードの時期が、
ぼくが「ドラえもん」に思い切りハマっていた頃より少し前と重なるので、
いろいろ趣深かったです(笑)。


ネタバレ入ります。


えびはら先生がアシスタントをしていたのは1973年~1975年の二年間。
藤子不二雄先生が新宿にある「藤子スタジオ」という事務所でお仕事をなさっていた時期。
当時はもう合作はほとんどなさらず、別々にマンガを描いてらっしゃいます。
ただぼくらにしてみると(特に子供の頃は)「藤子不二雄=二人で一人」という感覚が強く、
えびはら先生もはじめてアシスタントとして藤子スタジオに来たとき、
藤本先生と我孫子先生が別々に仕事をしてらっしゃるのを見て、
ちょっとガッカリしたと描いていました(笑)。


藤子スタジオからは、ファンレターの返事として年賀状も送ってくれていました。
なんとファンレターくれた人全員に!
藤子キャラが印刷されたハガキですが、当時はパソコンもなかったため、
宛名は先生やアシスタントさんが仕事の合間を縫って、自分で書いてらっしゃったそうです。
その数3千枚以上!


実はかくいうワタシも、そのハガキをもらったことがあります(照)。
えびはら先生が藤子スタジオを卒業して何年も経ってからのことだけど、
人生で初めて書いたファンレターは藤子先生へのものでした(笑)。
ドラえもんの「あの日あの時あのダルマ」を読んでボロ泣きして、
書かずにはいられなかったのを覚えてます。
たぶんもう小学校低学年くらいだったと思うけど、
フィクションで感動のあまりボロ泣きしたのは、あれが初めてだったな。
いやあ、ファンレターの返事のハガキ、めっちゃうれしかったなあ。
まだどこかにあるかもしれない。


あと偶然ですが、最近とある場所で、
我孫子先生のまんが道続編「愛…しりそめし頃に…」を全巻読破していまして、
それを読み終えたところでこのマンガを見かけたため、
さらなる偶然が重なり、にわかに藤子不二雄先生がマイブームになっています(笑)。

そしてこのマンガを読んでるところでこういう記事に出会うところも、
また偶然というか運命的だ(笑)。


で、「まんが道」でも描かれてほぼ伝説化している
「足塚不二雄・原稿総落とし事件」(足塚不二雄は藤子先生の前のペンネーム)。
先生たちが駆け出しの頃、まだ自分たちのペースがつかめないまま仕事を引き受けすぎ、
ちょっとのつもりで帰省したら思い切り気が抜けてほとんど仕事ができなくなり、
受けていた原稿をすべて落としてしまったため、
マンガ家生命が絶たれかねなかった大事件です。


これは本当に恐怖だったらしく、
「愛…しりそめし頃に…」でも何度も回想シーンとして描かれています。
はじめて読む読者のために繰り返しているというのもあるだろうけど、
これだけ頻繁に出てくるところを見ると、
我孫子先生にとってとてつもなく恐ろしかった体験なんでしょう。


で、このマンガによると、これは藤本先生にとってもマンガ家人生で一番の恐怖だったそうで、
本当に藤子不二雄最大の危機だったんだなあと、あらためて感じ入ります。


その恐怖はずっと続いていたらしく、
仕事場にあるスケジュールボードにも如実に現れています。
藤子スタジオのスケジュールボードには、
我孫子先生の予定しか書かれていなかったそうです。
我孫子先生はそれを見て〆切を厳守していたようですが、
なぜ藤本先生のスケジュールが書かれていなかったというと、
目に付くところに〆切予定が書かれていると、
ものすごいプレッシャーで仕事どころじゃなかったからだそうです(苦笑い)。
お二人の個性の違いもありますが、「〆切は絶対守る」という不文律は、
先生たちの心にトラウマになって刻みつけられたようでした。