今日の日記はぼくの思い込みが大部分なので事実とはかなり反するかと思います(照)。


しげの秀一先生の「MFゴースト」。
「頭文字D」の続編ということでぼくも楽しく読んでいますが、これがなかなか、他のマンガとちょっと違う感覚も味わわせてもらっています。


カナタが非力なハチロクで9位と健闘し、実力の片鱗を見せて終わったMFG開幕戦。
その号のヤンマガ巻末コメントでしげの先生は「これで五分の一が終わりました」と書かれてました。
これを読んで「お?」と感じたんですよね。
どうやら「MFゴースト」は最初から結末までのプロットを完全に決めてから描かれているらしい。


はっきりとは言えませんが、たぶんマンガ家さんの結構な数は、結末を考えてから連載を開始することも多いんじゃないでしょうか(「ゴルゴ13」ですらラストは決まってたらしい(笑))。
だけど人気が出て連載も進めば、決めていたラストを越えて話を作っていかなければならないこともあるだろうし、予定のラストにたどり着くにしても、大きく迂回したり、話を大きくふくらませていかなければならない場合もあるかもしれない。
80年代や90年代のジャンプなんて、そんなのばっかだったような気もするし(苦笑い)。


だけど「MFゴースト」はそういう作品とは、どこか一線を画しているように感じます。
たとえどれだけ人気が出ようとも、しげの先生は構想以上、構想以外の展開にして続けようとは思っていないんじゃないような。


このあたり、「頭文字D」以後の先生の作品を見ても強く感じます。
ぼくは「高嶺の花」も「セーラーエース」も読んでなかったんですが、前者は2巻で完結し、後者はかなり突発的に終わったらしい(苦笑い)。
たぶんしげの先生くらいの実績のある人気作家、「バリバリ伝説」や「頭文字D」で富も名声ももう充分すぎるほど得て、たぶんもう一生働かなくても構わないくらいだろうし、貢献度も考えれば編集部もやはり強く言えないでしょう(苦笑い)。


実際はまあそこまでワガママ放題ってこともないだろうけど、「MFゴースト」は編集部より作家主導で描かれてるのかな、とは感じます。
人気を得るためというより、作品としての質を重視しているような。
それでもすでに累計で100万部売れていて、人気もすごいんだけど(笑)。


そしてそれだけに、読んでて「MFゴースト」には他の作品にない安定感がある気がするんですよね。
すでにゴールだけじゃなく、ゴールまでの道順も決まっていて、そこに向かって進む歩速まで計算されて、迷うことなく進んでいるような。
これは一回ですべてが完結する読み切り作品を読んでいるときに感じる安定感に似ていますが、それがこれだけの長編連載で感じられるというのは、なかなか得られない経験です。


とはいえ、編集部の意向ではなく、しげの先生の方が描いてるうちに「やっぱりこれも入れたい」と寄り道に入っていく可能性はあるかな(笑)。
あるいはこちらが気づいていないだけで、すでにそういうこともいくつもあるのかもしれない(笑)。
それでも大きくはずれることはなく、確かに進んでいるようには感じるんですけどね。