FIFA女子ワールドカップが開催中ですが、グループリーグ・アメリカvsタイの試合。
これがなんと13-0でアメリカの歴史的大勝。
アメリカが強いというのを世界中に見せつける形になりましたが、やはり批判もあったよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190613-00000014-jij_afp-socc


ぼくは強い批判があるというのとは違うんですが、観ながら少し違和感はおぼえました。
というのもこういう一方的すぎる展開って、むしろアメリカ自身が忌避して非難してきたものだと思ったから。


最近はどうなのか知らないですが、メジャーリーグでは大差がついた試合では勝ってる方は盗塁をしないという暗黙のルールというか、紳士協定みたいなものがあると聞いたことがあります。
負けてる方に対して失礼というのが理由だそうですが、個人的にはそれだったらそこで試合放棄すればいいのにとも思ったりします。
というのも野球はその気になれば何時間でも攻撃ができるスポーツだから、たとえば0-10で負けてた方が9回の1イニングだけで11点以上取っちゃうこともありえるわけです。


それなのに負けてる方が「これ以上点取るためのプレーを制限しろ!」というなら、これはもう「自分たちは負けました」と言ってるのと同じことになる。
だってこれで自分たちが逆転するようなら、相手に「点取るな!」は何を勝手なことを言ってるんだって話ですから。


まあこれは「勝ってる側からの配慮」としての慣習なら一応筋は通りますが、それでも「慣習だから」「暗黙のルールだから」で押しつけられて、結果、逆転されて負けたりしたら、それも盗塁してチャンスを広げてもう一点取ってれば勝てたというような終わり方だとしたら、やっぱりなんか納得はいかない。


日本のプロ野球にこういう慣習はたぶんないかと思いますが、個人的にはやはり米国のフェアプレー精神は、いまいち理解しにくいときはあります。


で、話は戻しますが、この観点からいくと、今回の女子アメリカ代表のやり方は、とてもアメリカらしくない。
同じアメリカでもベースボールとサッカーでは考え方が違うのかもしれないけど、それでもやはり違和感はある。


正しくはあるんだ、むしろ。
最後まで全力を尽くして最高のプレーをするというのは非難されるどころか賞賛されるべきだし、ぼくとしてもどちらかと言えばこちらの方が受け入れやすい。


それにサッカーは試合時間の決まっているスポーツだから、自分たちで時計の針を進めるわけにもいかない。
消極的なパス回しだけで時間を潰していくようなプレーは、それこそ非難されるだろうし。
この前のロシアW杯で、ものすごくハイリスクな上、絶対の正当な理由があるにも関わらず、西野監督がポーランド戦のラストでものすごい勇気と覚悟の上で敢行した作戦が、他国のみならず自国でも非難を受けたようにね(苦笑い)。


が、それでもなお、やはり違和感は残る。
というよりやはり不快感かな。正確には。
というのもごく最近、よく似た試合を観たから。


現在スイスでおこなわれているFIFA U-20ワールドカップ。
日本は残念ながら韓国に負けてしまったけど(泣)、その前の日本と違うグループリーグで、ノルウェーvsホンジュラスの試合が12-0だったんです。
ただこれは、アメリカとだいぶ違う状況でおこなわれました。


これはグループリーグ最終戦で、ノルウェーもホンジュラスもここまで二連敗。どちらも勝ち点0。
ノックアウトステージ(決勝トーナメント)へは各グループ2位までと、全グループの3位の中で上位4チームしか進めない。


この二カ国のグループはすでに2位まで確定していて、どちらも3位までしか狙えず、しかも3位グループの中では勝ち点4を取ってる国もある。
たとえ最終戦に勝っても勝ち点3しか得られない二カ国にとっては、可能な限り大量点を取って得失点差を稼がなければ、グループリーグ突破は望めない。


そんなわけでノルウェーは、取れるものなら何点でも取りたい。
取っても取っても取り足りないという状況だったんですよね。
ここがまずグループリーグ初戦で、しかも試合途中で勝ちがほぼ確定してたアメリカと違う。


この試合、ノルウェーのホーランというFWが、12点中9点(!)を一人で取ってしまう大爆発ぶり。
ただ自身8点目か9点目を取った頃にはもう喜ぶこともなく、それどころかややオフサイド気味だったことを自覚してか、「VARで確認しなくていい?」と小さくジェスチャーしてたのが印象的でした。
いくら必要にかられてとはいえ、同じサッカー選手、それも年代別とはいえ国を代表するチームの選手たちを、しかも世界大会で、これほどのさらし者にしてしまうことに罪悪感があったんでしょう。


それは試合が終わった後も同じで、歴史的大勝を飾りながらもノルウェーの選手は大して喜ぶこともなく(これほどの大勝でもグループリーグを突破できたかわからないというのもあったでしょうが)、ホンジュラスの選手たちを気遣って慰めている姿が心に残っています。
(結局ノルウェーもグループリーグ敗退でした)


そういう試合を観てきたことと、前述したようなアメリカの「スポーツマンシップ」を多少知ってたことから、あのアメリカの喜びようは、やや不快な方向に違和感があったんですよね。
中にはタイの選手を気遣ってるアメリカ選手もいたけど、でもそれも笑顔で接しているようで、ノルウェーの選手とは表情が違った。


個人的に最後まで全力を尽くして叩きのめすのは「敬意」と取ってもいい。
ただそれによって相手が受けた心情を思いやれないのはどうか、とは感じます。
「自分たちが弱いからこれほど負けた」と自省するのとは別に、それこそもう、死にたくなるほどの屈辱と、これまでの人生が木っ端微塵になるほどの自信の喪失はまぬがれないんですから。
それは同じ競技に、レベルの差はあれ同じように人生を懸けてきた人であるなら、わかりそうなものなのに。


あるいはアメリカのスポーツマンシップも変わってきたのかもしれないな。
もしそうなら、これまでのものもぼくとしてはややゆがんだスポーツマンシップの感はありましたが、それより悪い方向に変わったのかもしれない。
いや、一競技の一試合だけでそう断言するのは行き過ぎだけどね(苦笑い)。