「はいふり」こと「ハイスクール・フリート」。
1話が放送されて正式名称もそのときに発表されましたが、
なんだか「まどマギ」や「がっこうぐらし」のように
「ゆるふわ日常系と見せかけて鬱展開」になりそうな気がすると話題になってるようです。
確かに言われてみるとそんな不穏さはあったなー。
だとするとぼくもちょっと敬遠気味の作品になりますが、
1話観たあと自分としては少し違う理由で敬遠気味になっております。
作品の内容がどうこうじゃなくて、自分に理由があるんだけどね(苦笑い)。
そろそろ「少年少女が世界の命運をになう」って設定は飽きたかなーと(苦笑い)。
これは自分が結構年齢を重ねてしまったのと、あとはスレてしまったのが理由なので、
作品自体に責任はありません(苦笑い)。
まず年齢の方ですが、リアル(現実)で考えた場合、
世界の命運がかかるような大問題が起こったら、
とてもじゃないですが10代の少年少女にすべてを託す度胸は
ほとんどの人にはないんじゃないかな(苦笑い)。
10代どころか20代、30代でも役者不足だし、40代でも尚早、
せいぜい50代以降がメインになるかなあ。
これがたとえば、魔法少女モノみたいに彼女たちに特殊な力が与えられたとか、
「テッカマンブレード」みたいに無理矢理状況と能力を押しつけられたとか、
「レイズナー(1部)」みたいな絶望的状況で彼らしか対抗する力がないとか、
そういう設定ならまだしもなんですが、
他に戦える大人がいるのに「なぜ彼ら彼女らが?」という話だと、ちょっとね(苦笑い)。
ただ「はいふり」もこれから「彼女たちしか戦えない」という設定になっていくのかもしれないし、
なによりフィクションにそんなことを言うなんて無粋だというのもある。
だけどもう一つ、今度はメタい理由がありまして。
少年少女が世界の命運をになって戦う話って、
それこそ日本アニメ史、あるいは日本マンガ史の初期からのお約束設定だから、
もうそれだけで食傷気味な気分なのです(苦笑い)。
なんせぼくらの世代で最初期のものから考えても「マジンガーZ」にしてからがそうだし、
ガンダムシリーズもそうだし。
この辺は、もともとマンガやアニメは子供の観るものとされてたから、
読者や視聴者が感情移入しやすいようにキャラ設定されてたのが理由なんだろう
(小学生が主役の話もザラだし)。
今は視聴者の年齢層も全体的に底上げされてるし、ぼくらみたいなのも観てるけど(笑)、
でも中心層はなんだかんだで10代20代だろうから基本は変わらないだろう。
それにビジュアル的には40代50代のおっさんより、
10代20代のイケメンの方がいいっていうのは世代関係ないしな(苦笑い)。
だからこの点で「はいふり」にイチャモンつけるのは筋違いって自覚はあるんだよなー。
それこそ40年以上かけてつちかってきた、自分の「飽き」が理由なんだからね(苦笑い)。
最近は「銀英伝」でも作品の世界観に比べて
キャラの年齢若いなと感じるようになっちゃってるくらいだからな(苦笑い)。
本当は田中先生自身ももうちょっと高い年齢設定をしたかっただろうけど、
読者層を考えるとそうはいかなかったんだろうなあ。
ぼくも高校生時分であれより年齢層高いキャラ設定だったら、
ついていけたかどうか自信はない(苦笑い)。