今年最後の日記の題材がコレというのもアレかもしれませんが(笑)、
でも個人的にはこういうのを考えるのも楽しいし、
自分の感じ方や考え方を確認できたり、
ある種の方向性みたいなものが見えていいなと感じてもいるのです。
年収が毎年一億円以上あったら、
とりあえずは金銭でまかなえる願望・欲望を満たそうと思っています(笑)。
とはいえぼくはあまり物欲はないので
(高い外国車とか高い時計とかそんなに欲しいとは思わない)、
どちらかといえば旅に出てみたいな。
それも豪華客船とかで(笑)。
これは年収とは関係なく、一度は乗ってみたいと常々思っています。
その上で行きたいところとなると、これはたくさんある。
中国、ギリシア、ローマ、ベルギー、北欧、モルディブ、エトセトラ。
歴史に関わる場所で行きたいところだけでなく、ベタなリゾートも好きなのです(照)。
水上バンガローにはぜひ一度泊まってしまいたい(笑)。
ちなみにベルギーをパッと思いついて書いたのは、
ワーテルローの古戦場を観てみたいっていうのがあるもので(照)。
「ワーテルローの戦い」はナポレオンの最後の戦いで、
これに負けて彼は完全に歴史の表舞台から姿を消しました。
「ナポレオン戦争」で言うならトラファルガーも観てみたいが、
あそこって観られるものなのかな?(笑)
あとは日常でスーパー銭湯に毎日通ったり、
健康にも気をつけてヘルシーなものを食べさせてくれるおいしいレストランにたまに行ったり、
おいしい紅茶をのんびり飲める喫茶店を発掘したり、
こういう場所に気楽に行ける車を用意したり
(足がわりにキビキビ走る小さな車と、ある程度の長距離をラクにこなせる車があると完璧)、
起きたいときに起きて、寝たいときに寝て、完全マイペースで過ごせれば言うことなしです。
でもこれらのことって、たぶん一億円の半分でも充分というか多すぎるくらいだと思う(苦笑い)。
しかもある程度こなしたら、それで満足してさらにお金はそれほど必要なくなってしまう(苦笑い)。
そうなったら見返りなしでいろんなところに投資するのもいいだろうな。
寄付というと個人的には何か上からっぽくて抵抗があるし、
どこか「出したら溶けてそれで終わり」というイメージがあるので、
「目に見える見返りをほとんど期待しない投資」というのが考え方としては一番いい。
たとえば、二つの崖があるとします。
こちらの崖とあちら崖の間にある幅は10mや20m程度で、
ほんのちょっとなのに簡単にはどうしても越えられないもどかしい距離。
こちらにいる人があちらに行ければ、もっとたくさんのことができる。もっと幸せになれる。
あるいは失敗するかもしれないけど、でも挑戦するだけの価値はある。その意欲も腐らせたくない。
それならその崖と崖の間に橋を架けてあげたいと思うじゃないですか。
何かの本で「収入の九割を寄付して生きていけたらすばらしいね」みたいなことが書かれていました。
ぼくもそう思います。
といって、べつに聖人や、あるいは偽善者になろうっていうんじゃないです。
一億円あったら九割寄付しても一千万残って、
これだけで充分をはるかに越える収入で、ちっとも聖人っぽくない(笑)。
善人でも悪人でもなく、偽善者でも聖人でもなく、
単にお金に本来の生き方をさせてあげられる人間になりたいというのかな。
お金って美女と似たところがある気がしています。
誰もが愛し、誰もが欲してるのに、嫌われ、悪し様に罵られもする。
特に手に入れた誰かが彼女に溺れることで堕落・破滅したり、
彼女を手に入れようと悪行をおこなうと、いきなり悪女扱いされ、ボロクソに言われる。
美女はただそこにいるだけで、本人からは何もしていないのにね。
彼女を得た人間の器量が小さいせいで、そして彼女を得られない人間の偏見のせいで。
そういう彼女を、彼女のままでいさせてあげて、彼女のままで幸福に生きさせてあげる。
そんな風になりたい、なれるような余裕・器量が欲しい。
そういうところかな。
何度も言いますが、別に格好をつけてるわけじゃないです。
余裕ある悠々自適な生活ができるだけの金銭はしっかり確保したいと思ってるんですから(笑)。
それがおそらくぼく本来の器量で、それを越えた分は他の人に役立てたい。
そのくらいの感じです。
こういう生活や金銭、あと二年くらいで手に入れたいところですね(笑)。