サクラと紅茶

日常のことを書いていきます。 物書き志望でもあります。 第2回富士見ラノベ文芸賞 一次選考通過

2019年06月

ケーブルテレビに入っていると、思いもよらない昔のドラマや映画が見られたりします。
個人的に1990年代あたりは「最近」の感覚があるんですが(笑)、1960年代はさすがにまだ生まれてないので逆に大変新鮮。
特にこの時代は、今に比べると粗っぽい力強さがあって肩に力を入れずに観られ、そこが痛快。
今だと「ここがどうの、そこがどうの」と、いろいろ細かいところまで突っ込まれることばかりだからね(苦笑い)。


といってもそれは「今から観た未来」=「未来から観た今」も同じことだろうから、別に今の作品の方が存在として優れてるわけではない。
当時のいろいろな不備を、年単位で少しずつ修正したり作り直したりして今の作品があるわけで、それは未来に向かうほどさらに進んでゆく。
30年後に今の作品を観たら、穴だらけ、粗だらけってのは当たり前のことだ。


逆に昔の方が力強くて、今の作品はチャチくてダメだというのも違うと思うけどね。
結局好き嫌いだし、人間「自分が所属した時代」が一番だと感じやすいものだから。


そういうことはどうでもいいとして、ちょっと前は「スパイ大作戦」を観ておもしろかったし、今は「スタートレック」を観てると楽しい。


日本映画も石原裕次郎さんとか小林旭さんの映画を何本も観てると、この人たちが「スター」と言われるのがわかる気がするよ。
石原裕次郎さんはぼくらの世代でさえ「ボス」か「課長」のイメージが一番強いからね、どうしても(苦笑い)。


とはいえ裕次郎さんは、ボスや課長の存在感だけでも尋常じゃないけれど。
たいてい二人とも(一人とも(笑))七曲署や西部署の部屋に座ってるだけなのに、いるといないじゃ作品の重さや雰囲気が大違いだものな。


あと60年代じゃなく1970年~73年ですけど、中村梅之助さんの「遠山の金さん」もおもしろい。
ぼくは記憶にあるのは高橋英樹さんのときからだけなんですが、ちょいちょい「中村梅之助さんが一番よかった」という意見は聞いてたんですよ。
だから観てみたいと思ってたんですが、いやー、なんか納得。


別に杉良太郎さんや高橋英樹さん、松方弘樹さんがダメっていうんじゃないんですが、みなさん「パッと見」がそれだけでカッコよすぎる(笑)。
中村梅之助さんもカッコいいのに間違いはないんだけど、他の人に比べると普通寄りではあると思うんですよね。
だから市井で「遊び人」をやってもそれはどこにでもいる遊び人でそれほど目立たず、だけどどこか雰囲気が違うという、絶妙な味が出ているような。


当時は映像娯楽の主流が映画からテレビに移る時期で、出ていた俳優さんももともと映画や歌舞伎で名を馳せた人が多かったみたいだ。
そしてやはり映画に思い入れが強く、テレビは軽く見られていた。
たぶん今、テレビから見てネットの動画などが軽く見られているのと似たような感覚だろうな。


今も映画が滅んでいるわけではないけど、映画しかなかった時代に比べれば違う形で生き残ってきている。
ネットの映像娯楽がこれからどういう発展をしてゆくかわからないけど、すでにテレビに出ているタレントがネットのみの配信番組に出ているようだし、その流れは出来始めているんだろう。


そしてテレビも映画と同じように、これまでのような席巻の時代は終わり、別の形になって生き残っていくと思っています。



「パタリロ!」も101巻が発売。
当然すぐに購入しましたが、数日経って本屋の棚を見てみると、あきらかに冊数が減ってるんですよね。
というかそもそも入荷数がいつもに比べて多かった。
この辺は30年以上毎巻毎巻買ってる人間だからわかるところ(笑)。


やはり「翔んで埼玉」のブームから、久しぶりにパタリロに戻ってきてる人もいれば、新しく入ってきた人も結構いるんだろうな。
この辺は素直にうれしい。


そしてマンガそのものもミーちゃん(魔夜峰央先生)パワーアップしてる気がするな(笑)。
ここのところ露出も多くなり、疲れもあるだろうけど逆にいろいろパワーを吸収する機会も増えたんだろう。


井上喜久子お姉ちゃんやウサミンの「通算○○回目の17歳」を越える永遠の28歳、まだまだついていきますぜ(笑)。
(ちなみにぼくは永遠の33歳でいっています(笑))

ぼくはらくちんで便利なので相変わらずリュックサックを常用していますが、今まで使っていたのがかなりへたっていたため、突然「ブチッ」と肩紐が切れてしまいまして(苦笑い)。
さすがにこれだと使いようがないので、新しいのを買ってしまいました。


普通のリュックより容量の大きいのがありがたいので、これまでのと似たり寄ったりのものになってしまいますが、さすがに新しいのはしっかりしているね。
またしばらくつきあってもらおう。

「オタクの老い」のマンガがTwitterに投稿されて共感を呼んでいるらしいが、確かにそういうところある(笑)。
ぼくはゲームはやらないのでそっちはわからないですが、新しいアニメやマンガを開拓しようという意欲があまり湧かなくなり、今は「各季」のアニメも新しいのを一本か二本観るくらいだものな。


といってそのことで愕然としてるかというと、そんなことはないんですよね。
オタク的なもの以外にも興味があるものはあるし、昔わからなかったものの良さもわかってきている。
要するに興味の対象が別のものに「移ってるだけ」というのが実感としてあります。


アニメやマンガも、10代や20代の人たちでも幼児の頃に観ていたアンパンマンなんかを今も観てる人はあまりいないだろうし、いるにしても当時と同じ感覚で観ていることはないでしょう。
それも感性が「移ってる」ってことで、おっさんおばさんになる前から同様のことは起こっているわけだ。


あとタイトルに書いたように、オタク的なものに使う脳内感性HDDもすでに40年以上使ってきて、容量がかなりぱんぱんになってる感じもするんですよね(苦笑い)。
なにしろ消去するわけにはいかないから、たまる一方だ。


それと書き込んできた作品が多ければ多いほど、新しい作品を観ても「前に観たことあるな」という感覚をどこかで無意識に感じてしまうところもある。
というのもなんだかんだで人間が何に心震わされるかは大昔から変わらなくて、新しいと思える作品でも、それらを違う切り口で表したり、新しい絵柄で表現したり、見たことのない演出で示してみたりということで、それらをすべて削ぎ落した基礎・基盤・核という部分はどうしても重なるところがあるんですよね。


脳内HDDも、一ケタ年齢のときはもちろん、10代や20代はいくらでも容量があるから、そこにどんどん書き込める。
書き込まれる作品は時代にも左右されるだろうけど、その中でも本人が好きなものを選んでいくからだいたい似通ってくるし、それによって感性もより偏って(?)形作られてゆく。
そして「この偏りがおれが作ってきた人生だ」という確固たる自信もある。


結局問題は、これを「老い=劣ってるもの」と取って落ち込んだり、あるいは逆に新しいものを「昔に比べてつまらない、駄目だ」と罵倒してしまうことなんだろうなと思ってます。
仮に脳内HDDを全消去できて、新しいものを一からインプットできるにしても、半世紀もすれば同じことになるだけだから、そこで悩んだり罵ったりしても意味ないんだけどね(苦笑い)。
「老いについて」とか書き始めると主旨が変わっちゃうから深くは触れませんが、無意味に悩むくらいなら「興味の対象が横にスライドしているだけ」と考えるのが健康的なんじゃないかな(笑)。


それに個人的には、思春期にガンダムを始め「サンライズリアルロボットアニメ」を浴びるように観た経験、それによって培った感性と喜びを捨てるつもりは一切ないのです(笑)。
あれはあの時代、あの年代に生まれた人間だけが体験できる絶対の特権だからね。
他の年代にはその時代の特権があるだろうけど、取り替えたいとはまったく思わないのだ。

ぼくは作家の故・池波正太郎さんを知ったのがずいぶん遅かったです。
ドラマの「鬼平犯科帳」や「剣客商売」を観てなかったせいもあると思いますが、でも今「時代劇専門チャンネル」でこれでもかというほど観ております(笑)。


池波先生はぼくらより上の世代の人気作家さんだから、鬼平などはそれこそ半世紀以上前から存在する。
ドラマ化も何度もされているけれど、一番最初のシリーズなんて1969年だそうで。
そのときの鬼平は故・八代目松本幸四郎さん。
90年代にロングヒットとなったフジテレビバージョンの鬼平を演じた二代目中村吉右衛門さんのお父さんです。
そして71年版には、二代目中村吉右衛門さんが鬼平の息子・辰蔵役で出演してらっしゃるのが大変趣深い(笑)。


で、池波先生もう一つの代表作「剣客商売」。
これも何度もドラマ化されていて、古いものでは若き日の故・加藤剛さんが大治郎役だったりするからすごい。


「剣客商売」も結構最近(といっても20年くらい前だけど)ロングヒットして、主人公の一人である老剣客・秋山小兵衛を演じたのが故・藤田まことさん。
ぼくの中で小兵衛といえば、自然と藤田さんが思い浮かんでしまうな。


そんなわけで時代劇チャンネルで何度も再放送するから何度もドラマは観てたんですが、原作の方にはとんと手を出すのを忘れていまして。
それで今回ちょっと図書館で借りてきて読んでますが、なるほど、ドラマはいろいろ肉付けしているんだなと。
というのも鬼平にしろ剣客にしろ、基本は短編なんですよね。
それをドラマでは60分にしたり、場合によってはスペシャルで120分にしたりするから、どうしてもいろいろ肉付けしないわけにはいかない。


ただ、本筋は絶対にはずさず、より彩りが増すように肉付けされているので、そこはドラマスタッフの原作に対する敬意や愛情があるんだろうなと思っています。


まだ短編を二つ三つ読んだだけだけど、まだまだいくらでもあるので、ゆっくり手を出していこうと思っています。

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