サクラと紅茶

日常のことを書いていきます。 物書き志望でもあります。 第2回富士見ラノベ文芸賞 一次選考通過

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ザスパクサツ群馬の常盤聡が引退を表明したか。
常盤はFC東京U-18出身で、じつはその頃のプレーを観たことがあるんですよ。


当時は左サイドハーフで、そこから切り込んでシュートを決めていた。
たしかJユースカップだったと思うけど、得点王を争うほどだったんですよね。
で、夢の島競技場だったか、
試合終了後の常盤がロッカーへ下がっていくとき「得点王取れよ」と声をかけて、
突然だったせいかびっくりしながらも「がんばります」と答えてくれたのを覚えている。


いくらユースとはいえ、プロになれるのは一握り。
その中の一人になり、7年間もがんばってきた。
それだけで脱帽ものだ。
これからはサッカーと関わりのない世界に行くのか、それともまた戻ってくるのかわからないけど、
あのときの夢の島のように活躍を期待しているよ。
お疲れさまでした。

ザスパクサツ群馬所属、左サイドバック、金沢浄引退かあ。
ジュビロ磐田の金沢という印象が一番強いかもだけど、
ぼくらにとってはFC東京の金沢浄だよ。

浄さんはJ1へ初昇格して3年後の2003年にジュビロからやってきた。
当時のうちは、昇格して中位をキープし、
J1でやってける自信をつけ、さらに強くなろうという時期だった。
監督は原博実。
サイドからの攻撃を主体にしているだけに、サイドバックの重要度も大きかった。
ただ、うちの場合、攻撃は右サイド主体。
ハーフに石川直宏、サイドバックに加地亮を配していたからそれも当然だけど、
それだけに左サイドはバランスよく守備を取らねばならず、
もちろん機があれば上がっていかなければならなかった。

そんな中で浄さんは、完璧にそれを実行してくれてたね。
当時、左サイドではやられる気がしなかったよ。
守備が強いというより懐が深いというか。
どんな相手の攻撃も自分の中に深く沈め込んで吸収してしまうような印象だった。
名前の「浄」のせいもあるかもだけど、
個人的には水のような、深い海のようなイメージもありました。
正直、安心感という点では、長友や宏介(太田)より浄さんの方が上だなった。
当時のコーチが「なぜ代表に呼ばん」と言っていたのも憶えているよ。

長友が城福さんに抜擢され、出番はほとんどなくなってしまい、
さらに古巣の苦境を救うために磐田へ帰っていってしまったが、
それでも浄さんへの敬意や感謝が変わることはなかった。
当然今も変わらない。
だから心から、お疲れさま。
東京に来てくれて本当にありがとう。
これから指導者を目指すのか、それともまったく違う道に行くのかわからないけど、
また東京へ来てくれるとうれしいよ。

もう一度、本当にありがとう!

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