サクラと紅茶

日常のことを書いていきます。 物書き志望でもあります。 第2回富士見ラノベ文芸賞 一次選考通過

タグ:真田丸

ついに「真田丸」が終わっちゃったねえ。
ここ数年、一時低調だった大河ドラマが盛り返してきた印象があり、
今年の真田丸はその中でもさらに盛り上がっていたみたいだ。
ぼくも2001年に放送した「北条時宗」以来、久しぶりちゃんと観た大河だったよ。
本当は最初の方は観てなかったので、ちゃんとと言えるかどうかは微妙だけど(苦笑い)。


ここから先は真田丸の感想というより、半ば自分語りな気がするので、
そういうのはちょっと、という方はバックでお願いします(照)。


ぼくは基本的に「戦国時代」と「幕末」を題材にしたドラマには、少々飽きを覚えていました。
この二つの時代は昔からあらゆる媒体で作品化されていて、
制作側だけでなく視聴する側にとっても受け入れやすく、
言ってみれば「ものすごく耕されてる土壌」だと思うんですよね。


ただ題材としては、
信長、秀吉、家康、竜馬、新撰組をはじめとするメインどころはもちろん、
結構周辺の人たちまでほとんど「収穫」されちゃってる印象もあります。
それぞれのキャラ(?)をいろんな角度から見てみたり、
突拍子もない設定を付け加えたりして、
調理法や味付けを工夫してみても、それすらもほぼ出尽くしてるような。


それでも、どこよりも耕されているこの土壌。
新しく農地を開墾する苦労と困難さを思えば、
なんとかここで収穫する方が確実だとばかりに、
ほとんど知られていないような人を題材にしての作品も作られる。
もちろんね、そういう人たちの人生をしっかり描いて、
様々な観点から戦国、幕末を見るというのも大切だしおもしろいものだけど、
メインの人たちに比べれば、
ドラマとしてはどうしてもダイナミズムに欠けてしまうのは否めない。
民放の二時間ドラマみたいなのならまだしも、
大河のような大々的なドラマだとなおさらね。
盛り上げるため大がかりにしようと
「じつはこの人が歴史に大きな影響を与えていたんですよ」的な脚本や演出にすることもあるようだけど、
ちょっと無理があることが多く、それも逆にしらけてしまう(苦笑い)。


その意味で、何年か前の「平清盛」は意欲作だなと、当時評価してたんですよ。
歴史ドラマの舞台として映えるのは乱世=政権(王朝)交代期。
日本でこれに当てはまるのは、
平安から鎌倉、鎌倉から室町、室町から江戸、江戸から明治あたりで、
後ろの二つが戦国と幕末だから、あとは平安鎌倉、鎌倉室町の前二つ。


で、平安・鎌倉の時期にあたる「平清盛」は、
その意図があってかどうかわからないけど、
とにかく「新田開拓」に挑戦することになるわけだから高評価だったのです。
その割に観てなかったからその程度の応援なんですが(苦笑い)。


ぼくが「北条時宗」を観てたのも、
戦国・幕末以外を舞台にするその意気を買ったからというのも大きいです。
こっちは最初から最後まで観た(笑)。
時宗の時代は政権交代期ではないけれど、
元寇という、日本史上でも異例中の異例の大事件が起こった例外期だからね。
それにこの戦争が鎌倉幕府滅亡の大きなきっかけの一つなわけだから、
広い意味では政権交代期=乱世の一部と言ってもいいんじゃないでしょうか。


ちなみにぼくが日本史で好きな人物は、この人と勝海舟です。


だけどやっぱり難しいよなあ。
ぼくも歴史に詳しいわけではないからはっきりはしないけど、
やはり戦国や幕末に比べ時代が古いから資料が足りないというのもあるかもしれない。
それに源平の二大勢力だけで群雄割拠ではないし、
戦いそのものも義経に平家が一方的に負け続け、短期で終わってしまった。
その後は兄弟の暗闘と、尼将軍の地ならし。
「天下分け目の決戦」である「承久の乱」もあっという間に終結。
関ヶ原も一日だけだけど、規模と巻き込まれた人の数が違うからな。


鎌倉・室町は逆にダラダラと長すぎたか(苦笑い)。
なんだかんだで南朝と決着がついたのが、三代将軍義満の時代で、
しかもその間、小競り合いはあっても大々的な戦いがあったわけでもなく、
とてもドラマにはしにくい(苦笑い)。


どちらの時代も掘り下げればいくらでもおもしろくなるのは確実なんだけど、
いかんせん、耕されてないから実がなる前に消え去ってしまうのよね(汗)。


戦国や幕末は、司馬遼太郎さんみたいな巨人が一気に開墾して、
一気に「開拓地」として確立してくれた面もあったようで、
だからこそそこにたくさんの人が集まって、さらに土壌が豊かになったんだろうが、
そういうのも今だと難しいのかなあ。


で、ようやく真田丸ですが(笑)。
信繁たちは戦国の人間ですし、
その点ではぼくの好みとははずれているわけですが、
でもまったく無名というわけではない。
だからといって歴史に大きな変化を与えた人たちではなく、
でもまったく影響を与えなかったわけでもないという、
微妙で絶妙な人選だったんですね(笑)。


それに真田の名前は今の世でも有名だ。
「真田十勇士」とか「猿飛佐助」とか、かなり創作的な方で有名だけど(苦笑い)、
でもこういうエキセントリックな形で表現されるということは、
されるだけの土台があるということで、
その部分を史実として見てみたいという気持ちもありまして。
何度も言ってますが、ぼくは歴史にうといので(照)。
もちろん真田丸だって脚色を加えての歴史ドラマだとわかっていますが、
それでも史実を変えたり、
突拍子もない技や術が出てくることはないのもわかってましたから。


ただ最初にも書きましたが、
そんなことを言いつつそこまで強い思い入れもなかったせいで、
はじめの方はかなり見逃してしまいました。
「黙れ小童!」も伊賀越えも観てません(爆)。
ちゃんと観はじめたのは、
もう源二郎が大阪城に人質として入っちゃってる頃だったなあ。
秀吉をはじめ、当時の実力者に振り回されたり、
彼らの周りで右往左往する源二郎が、今思えばほほ笑ましかった…


…ここまででいったいどれだけ書いた?
全然真田丸の感想になってないんですけどー(苦笑い)。
まあこれは、誰かに読んでもらうというより、
自分の考えたことをつらつら書く日記だと思ってくらさい(苦笑い)。
でもさすがに長くなったから、つづきは明日かそれ以降にでも書くかあ。
誰も読んでくれないかもしれませんが、
読んでくれた方がいらっしゃったら、どうもありがとうございます(照)。

ついに明日は「真田丸」最終回かー。
「幸村が死に、豊臣は負ける」は確定で歴史的ネタバレだけど(苦笑い)、そこにどう至るのか。


信之兄さんは生き残る、
どころか、93歳という当時からすると超長寿をまっとうすることもネタバレ済みだ(笑)。
「爺さん大泉」さんが見られるのかな?


しかしこの人がいなかったら真田は江戸時代を待たずに滅亡していたはず。
「壮烈な戦い」をやってのけた幸村はぼくら後世の人間を楽しませてくれているけど、
「お家存続」という、故・昌幸父さんをはじめとする
「当世の人たち」の願いをかなえたのは信之兄さんで、
兄弟二人で「過去と現在(現在と未来)」を満たしてくれたと考えると、
本当にすごい兄と弟だと思うよ。
幸村も信之兄さんがいるからこそ、
当時の最高実力者に楯突くような無茶をやれたんだろうし、
信之兄さんもそんな幸村に自分を重ねて託していたんだろう。


井上雄彦さんは「バガボンド」で兄弟を
「親子ほど近くなく、男女ほど深くなく、しかし仮に兄弟の腕が斬られたとしたら、まるで自分の腕が斬られたような…」
みたいに描いていたと思うけど、
これは本当に的確な表現だと心から感嘆したのを覚えています。
この感覚は弟を持つ身としてよくわかる。
兄弟の人生は、もう一つの自分の人生なんですよね。


昌幸父さんにとって幸村の奮戦は「自分の代わりに」だろうけど、
信之兄さんにとっては「自分そのもの」が戦ってくれている。
そんな感覚だったんじゃないかな。


それでいてやはり弟個人の功績、がんばりとしてうれしい。
「よくやった」と心から弟を誇り、誉めてやりたい。
それは矛盾するようだけど、
ぼくの中では何の齟齬もなく整合されている感覚・感情です。


だから幸村にかけられた苦労は苦労じゃない。
いや苦労だけど(苦笑い)、でも「自分の責任」、
そして「誇るべき弟のため」として、納得して、
喜んで受け止めることができてたんだと思うですよ。

ネタバレ入ります。


このときのために両陣営に別れた真田親子。
信幸兄さん、がんばった。
本多のお義父さんが命張ってくれたからというのが大きいが、
その原動力になったのは信幸兄さんの「言々肺腑を突く」という心意気だったからね。
それはこのときだけのことではなく、それ以前、何度も会って、
本多のお義父さんが信幸の真情や真価を評価してきたからというのもあるはず。


本多のお義父さんは凄まじいまでの直情径行だけど、
それだけに家康も本気と悟らざるを得なかったんだろうな。
そして「殿に逆らったのは生まれてはじめてじゃった…」と涙を流したお義父さん。
信幸は心から一生頭が上がらないし、
心から一生敬意と感謝と、もしかしたら憧憬も持って生きていくことになるだろうかな。


刑部様も本多のお義父さんとやや異質ながら、
一本気でまっすぐな武士としての生き様と死に様を義息に見せてくれた。
刑部様のように生きたいというのは、信繁の本心だったんだろう。


家康のやりようは、真田視点からすればむごいかもしれないが、
徳川視点からすれば、温情を残しつつの復讐だと思う。
二度も負かされて、しかも一度は膝下に入りながら敵対したんだから、
ほんと、殺されても文句は言えない。
最も恐ろしいのは「文句は言えない」と、周囲の人や民衆も思うだろうということ。
主戦場ではなかったから目立たなかっただけで、
客観的に見れば、小早川秀秋以上の背信者だからね(苦笑い)。


それにしても草刈正雄さんの昌幸は何度観てもすばらしい。
無骨で田舎臭く、やや視野は狭いが決して器量は小さくなく、人としての深みもある。
ぼくはすべての時代劇を観てるわけじゃありませんが、
もしかしたら歴代の真田昌幸の中でナンバーワンかもしれないな。
来週で退場か…


それはつまり、ついに信繁が真の主役になるということ。
もちろん今までも主人公だったけど、
ここまではどちらかというと秀吉や昌幸の補佐としての立ち位置が多かった。
だけど秀吉も三成も昌幸も死に、信幸もいなくなったとなれば、
ある意味、真田の「本流」は信繁に受け継がれざるをえない。
どういう方向にゆくのか、後世のぼくらにはわかっているけど、
それを忘れつつ観るのが一番おもしろいかもしれない。


あと茶々さんもいい演技だなあ、と、つくづく思う。
「本人にその気も悪気もないのに、関わる人をすべて不幸にしてしまう」
という雰囲気が出まくりだからね。
しかも本人、まったく自覚はなく、
それどころかそんな考えすら持たずに死んでいくんだろうな。
たくさんの人を道連れにして。


そして今回のサブタイトル「信之」。
事情は知っていたから先週の予告の段階で涙出そうな気持ちだったよ。
でも家康に対するせめてもの抵抗という意思も込められたと知り
「おお、なるほど」という気分にもなった。
信之兄さんはこれから苦労を一手に背負って生きていかなければならないけども、
おそらく強靱さでは親子三人の中では随一。
その様を見せていってほしいよ。
「深夜バスだろうがブンブンだろうがカブだろうが、全部耐えたキミなら平気だろぉー」
と、どうでしょうから離れられない人間は、
そんな風にヒゲみたいなことを言ってしまいそうになるが(笑)。
でもブンブンや深夜バスよりキツいんだろうなー(苦笑い)。

楽しいといっても内容がおもしろい、おもしろくないという話ではなく、
作中の信繁たちがこれまでのように笑える機会は激減するだろうなと。
第31回「終焉」の感想。ネタバレも入ります。



脚本や演出も相変わらずうまいなあと。
秀吉が完全に呆けて信繁のことを忘れてしまった先週。
口にするのも「秀頼を頼む」だけ。
だけど今週の最後の方で信繁のことを思い出し、三成のことを案じることで、
ほんのちょっとだけ聡明さを取り戻したことへの、うれしさとむなしさ。

そして最期、ベルに手が届かず、ベッドから落ちてたった一人、
誰にも看取られることなく死んでいった。
明確に書かれていたわけじゃないけど、
あれが秀頼がベルで遊んだ後、放り出したせいだとすれば、
あれほど行く末を案じた息子によって孤独に死ぬ羽目になったわけで、
その残酷さに暗然とする思いです。
それだけでなく、これからの豊臣家の何かを暗示するような偶然だったかもしれない。


しかし作中、一番ウザいのは、信幸の舅どのだな(苦笑い)。
ただ逆にこれからの真田丸で、
唯一、場の空気と関係なく笑いを取れるのも舅どのだけかもしれない。
それだけの存在感とインパクトがある。藤岡弘、さんには(笑)。


お父さんも相変わらず戦い以外には生きられないか。
真田の領地を奪還するためという志望にけがれはなく、
ごく真っ当なものかもしれないけれど、お父さんの器や視野が、
天下を覆うほど大きくも高くもないのが残念だ。
器量としては息子たちの方が大きいのは、時代のせいなんかな。

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