サクラと紅茶

日常のことを書いていきます。 物書き志望でもあります。 第2回富士見ラノベ文芸賞 一次選考通過

タグ:D.C.

「桜を見て思い出すアニメ作品」だから何を思い出すかは人それぞれなんだけど(笑)、
ただ「桜」という花をここまで前面に出し、
そして隠れた主題に置いた作品は他にないなというのは感じています。
とはいえ元ネタはゲームだし、
ぼくは「Ⅱ」や「Ⅲ」はやってないしアニメも観てもいないので、
そこまで押せる資格があるとは思えませんが(苦笑い)、
ただアニメ一期は神作品だと感じているので。


どのくらい押してるかは以前の日記にも書きましたが、
http://suntu500.blog.jp/archives/1069340946.html
やっぱりこの内容で「桜」という花を題材に選んだのが秀逸だと思うんですよねえ。


桜という花は、あたたかさや明るさを象徴してもいますが、
どこか冷たさや恐ろしさを感じさせるところもある。
「綺麗に咲いた桜の木の下には死体が埋まっている」なんて怪談や都市伝説(?)があることからも、
そういう印象は誰もが感じているんじゃないでしょうか。


そしてその恐ろしさは、直接的な恐怖というより、人の、特に女性の深い業を思い起こさせる気がします。


桜は女性に喩えられて、しかも薄倖の美女の印象が強い。
あまりに綺麗で、あまりに愛情が深く、
それゆえ彼女を本当に幸せにできるのは、本物の器量や人格を持った男しかありえない。
だけどそんな男は稀にしか存在せず、たとえ巡り会えたとしても、
男が彼女を愛してくれるとは限らない。
心から愛して、自分を幸せにしてくれるとわかっている男が、
他の女と愛し合っているとしたら、桜はどう想うか、どう感じるか。
そしてどうするか――


こんなことを制作側が考えたかはわかりませんが(笑)、
でもアニメ一期の「D.C. ~ダ・カーポ~」は、
このあたりを余すことなく表現してくれてた気がするんですよね。
しかもその業の深さは、桜の美女だけでなく、男と愛し合う女の方にもあるという。


これだけだと単にドロドロの愛憎劇になりそうだけど、この作品のすごいところは、
登場人物がヤンデレ化もせず、
そのドロドロの半歩手前で踏みとどまってみせてることなんですよね。
ぼくの中では「首筋に刃を当てられて、皮膚は切られているのに血は出ていない」というギリギリの感覚です。
そしてこれがあるからこそ、人の(女の)業を感じさせながら、
残るのは清涼さ、さわやかさだけという、他ではまず味わえない感覚を味わわせてくれている。


桜と女とは、決して憎み合ってるわけでもなく、嫌い合ってるわけでもない。
同じ男を愛した、ただそれだけのこと。
たったそれだけのことで絶対に相容れない存在になってしまう。
音夢と桜が抱き合って謝りながら号泣するシーンは、
互いしか理解できない、このどうしよもなさを表しているようで、
もう、もう、たまらなかったですよ。

アニメ・D.C. ~ダ・カーポ~Ⅰのネタバレ入ります。




D.C. ~ダ・カーポ~のⅠ&Ⅱがブルーレイになるか。
ぼくはゲームはⅠしかやっていないし、Ⅱはアニメも観たり観なかったりでしたが、
Ⅰのアニメ(一期)は絶品だったなあと今でも思ったりしています。


人間関係とか魔法とかエロゲ特有の極端な設定ですが(笑)、
その辺をうまく使ったというかなんというか。
音夢とさくらの、互いを嫌っているわけでも憎んでるわけでもないのに、
相手を殺しても男を譲れないというね。


いや、さくらはちゃんとあきらめてちゃんと引いているのに、
本音の部分を「魔法」が無理矢理引き出して、
勝手に相手の命を削っていってしまうというところが単純なヤンデレと違うんですよねえ。
あの自分の醜い(とも言い切れないけど)部分を見せつけられ、
魔法を止めようとしても止められず、
それほどに自分が純一を愛していると自覚させられる絶望感。


魔法はどうやら音夢の純一への愛情を消すことが目的らしいんだけど、
音夢は音夢でその想いを守るため、代わりに自分の体(命)、
そして友人・知人の記憶を(無自覚に)差し出し削らせてゆく。
自分の命よりも、他の人とのつながりよりも、純一への愛情が大切だという業の深さ。


純一に幼い頃から守られて、純一の存在を心の支えにして生きてきて、
それだけに信じられないほど心の深い場所まで純一に依存し、愛している二人。
他の娘に奪われるのならまだ耐えられる。
でも音夢ちゃんだけは、さくらだけは絶対ダメ。
純一へのスタートラインがほぼ同じで、育んできた時間も想いも似通っている。
それだけに相手に負けるというのは、自分の純一への愛情が負ける、
自分にとってすべてと言っていいほどの想いが否定される。
そんな恐怖や怒りがあるんだろうかなあ。


これほどの想いを剥き出しにしたせめぎ合いをしているのに、
本質的には互いで互いを嫌ってるわけでも憎んでるわけでもないというのがまたやるせない。
同じ男を好きにならなければ、なるにしてももっと違う形でだったなら、
こんな醜くて純粋な、魂の削り合いをしなくてすんだのに。
抱き合って泣きながら謝りあう二人がどうにも哀しくてなあ…


そういえば「D.C. ~ダ・カーポ~ コラボレーションコミックス 初音島コンチェルト」っていうアンソロジーでむっちりむぅにいさんが描かれた「夢想桜」という作品が、
二人のこの部分を余すところなく表現していて、今でもすごく好きなのです。


今のゲームはもっと深いところまでえぐり込んでくる作品もあるんだろうけど、
ぼくの中ではやはりこの作品は衝撃でした。

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